Kino-Kuni文學賞 特別連載時代劇 第5話

『真田幸村異聞~躑躅の首~』


 その後も幸村は、度々雑賀衆の元へ足を運ぶようになった。当初こそ、衆の男たちは幸村を訝しんだ。だが、やがて幸村の中に燃える戦への切望を知ると、昔馴染みの同士の如くに歓迎した。
 ある日、配下のひとりが九度山に戻ろうとする幸村を呼び止めた。

「幸村殿。おれたち雑賀衆も、あなたと一緒です」
 咄嗟に何の事か分からず、幸村は少し首を傾げた。まだ年若い配下は、照れくさそうに微笑んで続けた。
「おれたちも、戦を求めています。戦が無ければ、生きてはいけない。だからおれたちは、幸村殿の思いが分かるのです」

 最盛期、雑賀衆は千を越える兵を誇ったという。それも、今は数度訪れればそれぞれの顔を覚えられるほどである。その数十の眼のいずれにも共通していたのは、鉛玉のように鈍く暗い輝きだった。火縄の手解きよりも、共に酌み交わす酒よりも、その輝きこそが幸村の胸を高鳴らせた。幸村は、日課となっていた縁側での物思いを止めた。馬を走らせ、雑賀衆と共に火縄を撃つようになった。戦友というものを知らない幸村にとっては、あまりにも遅い、若い春の訪れのようであった。四十路の皺に活気が満ち始めた。

 父親の昌幸の容態が急変したのは、そうした時分、慶長十六年の初夏であった。

 昌幸は、日々悪化する身体の事を、息子の幸村にすら話していなかった。いよいよ隠し切れぬ状態になった時には、既にもう数日と持たない事は、誰の眼にも明らかであった。ある晩、幸村は、九度山まで付いて来た数名の家臣を座敷に呼び寄せた。みなで、布団に横たわる昌幸を囲む。父親と夕餉を共にしているとき、これが最期の夜になるのだという予感がした為だった。
 それに気づいているのは、他ならぬ昌幸自身のようであった。集まった家臣たちそれぞれに、皮肉げな笑みとともに、素直な礼を口にした。城主の立場を無くした主に、自ら田畑を耕してでも付いていく事を決めたほどの忠臣たちである。みな、頬を濡らし、言い切れぬ思いに声を枯らしていた。その顔を、昌幸は満足げな色を浮かべて見詰めていた。やがて、男たちの啜り泣きが一先ず止んだ。昌幸はその時を待っていたように、幸村のみを近くに寄せた。
「幸村に、ご用ですか。父上」
「幸村。儂の父――つまり、お前の祖父のことだ。じい様はまだ若い頃、この紀伊を旅した事があったそうだ」
 初耳であった。昌幸の父、つまり幸村の祖父である。その人は、信濃国人衆の一勢力だった真田氏を、武田氏重臣の地位まで押し上げた人物である。

「丁度、火縄が種子島からこの紀伊に伝わった当時のことだ。きっと、武田の力になろうとすぐに馬で駆け付けたという。その時訪れた紀三井寺で、そこに咲き誇る躑躅の大群に目を奪われたのだと。あの美しさは生涯忘れられない、と何度も話に聞いた。それに、信玄公の館も名も躑躅ヶ崎だ。尾根に咲き乱れた躑躅の花は儂も好きでなあ。だが、それを見ても紀伊の躑躅が一番と父に語られては、どれほどのものかと夢に見るほどだった」

 ククク、と笑う昌幸の乾いた唇には、うっすらと血が滲んでいた。少しでも情があれば、話すのを止めさせるべきだろう。事実、後ろに控える家臣が慌てて腰を浮かす気配を幸村は確かに感じた。しかし、それを手で制した。少し口を閉じて虚空を見上げていた昌幸が、満足げに息を吐いた。何よりの答えだった。

「父上は、その躑躅を見た時に、ひとりの青年と会ったそうだ。躑躅が道に落ちておるのを見て、まるで自分の子のようにひどく心を痛めていたという。それを気の毒に思った父上は、こう諭したという。美しき花なのだから、道に落ちて枯れ果てさせるよりも、せめて愛でてやれと。すると、青年は喜んで礼を言って、紀三井寺の方に駆けて行ったんだと。その背の清々しさも、紀伊のよい思い出であった、とな。父上は、とても楽しげに語っておったよ。餓鬼だった儂は、その会った事もない男に嫉妬したものだ」

 言葉の間に挟まる息が、徐々に浅く、切迫していた。それでも昌幸は続けた。今度は、誰も腰を浮かせる者はいなかった。

「儂は躑躅が好きだ。紅い具足を使ったのも、躑躅を思わせたからよ。そして、行った事も無い時分から、この紀伊も好きだった。父上が誇らしげに語る、その青年とやらになってみたいとも思った。父上が好きな躑躅のように、戦花を咲かせたいと願った。そりゃなあ、何よりおれ自身が、父上が好きだったからだ。武将としてではない。父上はたしかに、偉大な真田中興の祖の名将だ。越えられない壁と知って悩んだ。それでも、おれは父上が誇りだった。どうしても好きだった」
 は、と幸村は息を飲んだ。昌幸の三白眼が、じ、と息子を見上げた。
「幸村。これより数年のうちに、必ずや大戦が起きる」
 座敷にどよめきが起きた。幸村もまた驚いたが、き、と父親の眼を見据える。
「それはまことですか」
 幸村は、引き結んだ唇の震えを抑える事は出来なかった。

「うむ。きっとこの数年のうちだ。家康は必ず、豊臣方を潰す。それは、日ノ本中を巻き込む大戦になると見て間違いない。だからな、幸村――お前はその戦で名を挙げろ。赤備えを遣い、躑躅の如くに紅く大きな戦の花を咲かせてみせろ。そして、死ね」

 昌幸はふ、と微笑った。それは、幸村の記憶から焼き付いて離れない、あの上田城の戦いの時、逃げ帰る徳川方の背を嗤っていたそれではなかった。ただただ、子を慈しむ父のそれであった。
 その言葉を最後に、昌幸は口を閉ざした。痩せた唇に、躑躅のように赤い血が染みていた。
 幸村は何も言わず、父の枕元に向けた膝を静かに震わせた。
 それから数日の記憶は、幸村には無い。ただ、質素に行われた昌幸の法要の光景が、ぼんやりと残っていた。

 意識が明瞭になった時、幸村は雑賀の地にいた。大坂の本願寺派の分かれ、鷺森別院である。この地に足を向けたのは無論、雑賀の男がそこにいるからであった。荒れ果てたこの寺院を根城にしているのだと、いつか雑賀が語っていた事をふと思い出したのであった。果たして、男は伽藍の隅で鼻歌交じりに火縄の手入れをしていた。彼は、幸村の姿を認めると、何も言わずに中へと招き入れた。
 戦火の影響もあり、伽藍はうら淋しく荒廃している。しかし、元は室町の世に築かれた、紀伊国における本願寺派の最も重要な拠点である。中央に鎮座するニ尊像ばかりは、往時の隆盛の輝きを湛えていた。
 幸村は暫し、ニ尊像の前に座り込み、ぼうと虚空を見上げていた。雑賀の男も無言のまま、火縄の手入れを続けていた。そのまま、どれほどの時間が経ったのかは分からない。やがて、幸村の口から止め処なく溢れてきたのは、父親昌幸が最期に話し伝えた事であった。涙は出なかった。

「その時分なら、きっとその若い男ってのは根来寺の照算様だろうな」
 全てを話し終えると、雑賀は幸村の傍らに近づき、そう言った。

「知っているのか。その方は今、生きているのか」
「いや、死んだよ。いくら元は他国のあんたでも、豊臣秀吉の紀州攻めは知ってるだろう。もう三十年は経つかな。あの時、根来寺はそりゃあ酷い目にあったのさ。御坊も何もかも、みんな焼き尽くされた。当時根来寺のあるじだった照算様は、その時に死んじまったよ。叔父の明算様もだ。火縄で稼いだ金も、近隣の寺院から取った領地も港も、秀吉に奪われた。根来の夢も遠かりし、かな。火縄が伝わった時分にゃ、ここは京かと思うくらいの賑わいだったのにな。今の根来寺の跡には、何にも残っちゃいねえ」
 口振りこそ不遜極まりなかったが、雑賀の切れ長の目元には、物寂しげな色が浮かんでいた。元々口の上手くない幸村は、気まずさに口を噤む。しかし、ふとある事に思い至り、「ちょっと待て」と雑賀に向き直った。

「お前、まるですべて見聞きしていたような口振りだな。しかし、私と歳の近いお前が、それほど詳しく知っている訳もないだろう。何故だ」
 幸村の問いに、雑賀は事もなげに答えた。
「雑賀の頭領ってのはな、同じ名前を代々受け継いでるんだよ。次代を継ぐ者に先代が教え込むのは、まず火縄の術だ。そして、人とのお付き合いの手段。何より、見聞きして得たそのすべてでもある。だからおれは、あんたのおじい様と同じ時代を生きた雑賀でもある。在りし日の根来寺を見知る雑賀でもある。そして、あんたと同じ年頃の雑賀でもある」
 だから知っている、と雑賀は言う。詭弁といえば詭弁である。だが、その口調と眼差しには、真実の透き通った色のみがあった。
「語り継いでいく、ということか」幸村の口の端に、薄い自嘲の笑みが浮かんだ。「羨ましいな。私には、他の者に伝えられることはない。いやそもそも、伝えられる者もなにもない。このまま九度山に身を埋めたとしても、誰が覚えていてくれようか。お前や、……父上のように、きっと誰か覚えていてくれる人がいるということ。私は、心底羨む」
 言葉を紡ぐほどに、咽喉を、ひゅうと枯れた息が鳴らす。ニ尊像を見詰め続ける老いた眼に、じわりと涙が満ちた。慌てて手の甲で拭う。幸村の息が整うまで、雑賀は何も言わずに幸村を見返していた。

「忘れられるのが、怖いのか」

「ああ、怖い。私は――おれは、まだ、何もしていない! 何かを成したい。父上の子として、武将として生まれた。この生、きっと武功を挙げて、死にたい!」

 いよいよ、溜め込み続けた思いは滝となって幸村の頬を伝った。深く走った皺に溜まった大粒の涙が、ささくれ立った木板を濡らす。それが何の為の涙であるのかは、幸村自身も知るところではなかった。伽藍に差し込んでいた日差しが傾いていく。雑賀が「おれたち雑賀衆はな」と穏やかな口調で話し始めるまで、幸村の涙が止まることはなかった。

「知ってるだろうが、大名どもに雇われて戦に赴く集団だ。その雇い主どもにとっちゃ、おれたちの個々のことはどうでもいい。雑賀衆という一個の塊に、どれほどの力があるか。それが一番の関心ごとさ。やれ喜平が斬られた、佐助が撃たれた。そんなことは、大名どももそこらの民は知らない。きっと、戦場でそいつらを殺した足軽だって、知らねえ。雑賀にはそういうやつらがごろごろいて、死んでった。そう。秀吉が、紀州中から鉄砲を取り上げてからだ。やんややんやと持て囃した俺たちの火縄のことだって、素知らぬ顔してやがる。おれたち雑賀はまだ確かに存在している。こうして、火縄の腕を磨き続けてるのに、だ」
 幸村はただ、雑賀の言葉に聞き入っていた。彼の悲痛な話は、相も変わらず粗暴な声色で語られる。それが、この時ばかりは何よりも優しげに聞こえてならなかった。雑賀は一度言葉を切ると、す、と幸村に向き直った。そして、やや躊躇ったようにゆっくりと笑うと、再び口を開いた。

「正直に言うぜ。だからおれは、あんたが火縄に眼を輝かせたのが、心底嬉しかったんだよ。ともすりゃ忘れられるかもしれねえ雑賀の火縄に、関心を持ってくれたことが嬉しかった。そして、それに誇りをかけるおれたちに、まっすぐに付き合ってくれたあんたの事が、おれは好きだ」
 幸村より少し若い雑賀の頬に、夕闇が皺の影を濃く浮き彫りにしていた。きつく結い上げられた前髪からは、幾筋か垂れる髪が垂れている。それが、幸村と同じように白く老いていることに、幸村はこの時やっと気づいた。
「この定めなき世に生きるもんは、きっと、みんなおんなじだ。忘れられたくなくて、必死にもがいて生きている。だから、幸村。その御父上のいう大戦とやらが起きたら、躊躇わず行けよ。そんときゃ、言ってくれりゃおれも衆の者を遣って力を貸してやる。一花咲かせりゃ、世間があんたを忘れることはない」
「もし」幸村は、泣き枯れた咽喉を、なお必死に使って問うた。「もし、何もできなかったら」
「そんときゃ、おれが覚えていよう。信州の出の真田幸村っていう、戦好きで、思い詰めやすくて、てめえの父親を心底好いてて、前歯の欠けた白髪頭の、まあみすぼらしい中年男がいたってな」
「……そのまま、お前の跡継ぎに語るなよ」
「おあいにくさま。雑賀の頭領の掟は、伝えることはしかと明瞭にそのままに、なんでね」
「そりゃあ、……おれは、おちおち惨めに死ねんなあ」
 伽藍は、すっかり夕暮れの藤色の帳にある。その中で、二人の男の渇いた、だがよろこびに満ちた笑い声が、いつまでも木霊していた。
 果たして四年後、慶長十九年。九度山の幸村の元に、徳川と豊臣手切れの報と共に、大坂城への協力の依頼が届いた。

 幸村、四十七の年であった。

 

 

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