Kino-Kuni文學賞 特別連載時代劇 第4話

『真田幸村異聞~躑躅の首~』


 和歌浦の潮風が、ぬるく穏やかだ。

 玉津島神社の社殿に手を合わせた幸村は、心中愉快でならなかった。幸村がいる和歌浦一帯は、玉津島はじめ、和歌浦天満宮など数多くの寺社がある。風の噂によれば、紀州藩が近々東照宮を創建する予定もあるという。古来、多くの文化人に愛された海なれば、それも当然であろう。この和歌浦を臨む場所すべてが、神域と言っても過言ではない。

「そのような場所に、まさか鉄砲使いの残党がいるとは普通は思わないだろう」
「は、言ってくれるなァ。幸村」
 挨拶もそこそこの幸村の皮肉にも、雑賀衆の頭領は笑い返してみせた。その反応を見るに、自覚はあるのだろう。何せ、雑賀衆残党がいるのは、その神域の只中なのである。玉津島神社の社殿のすぐ目の前に聳える、小山の中だ。鬱蒼とした木々に隠れるようにして、雑賀衆たちはそれぞれの鍛練に励んでいた。

「昔の頭領が、ここを根城にしていたんだよ」
「ほう。そうなのか」
「ああ。ここは、和歌浦の港も目の前の要所だからな」
 なるほど、と幸村は頷いた。山がある場所は、他の土地から迫り出すようにして港に突き出ている。それは丁度、扇の形に広がった和歌浦の港の中心部でもあった。海運を抑える事は、武将にかぎらず、あらゆる人々の成功の種になる。この要所を選び、勝ち得た事は、雑賀衆の優れた力を意味していた。
幸村は、木々の隙間から浦の方を見遣る。正面には、名草山の雄大な姿が広がっていた。雑賀によれば、晴れていれば紀三井寺の社殿も見えるという。海運のみならず、陸路を把握するという点でも優れた要所なのだと幸村は唸った。
「丁度この真反対には、俺たちのものだった岬がある」
「俺たちのものだった、とは何だ?」
「分かってるだろ。秀吉に取り上げられたんだよ」

 秀吉の名を聞いて、幸村は頷く。およそ三十年前のことだ。豊臣秀吉は、反豊臣を貫く紀州の諸勢力の鎮圧戦を決行した。その討伐対象に入っていたのが、いま幸村の目の前にいる雑賀衆たちだった。幸村は紀州攻めには参加していないため、詳細は知らない。だが、紀州屈指と名高い根来寺が跡形もなく焼き討ちされるなど、凄惨な戦いだったのは間違いない。
 男は詳しく語らないが、火縄の扱いにかけては雑賀衆は紀州一だったという。最盛期は傭兵は千を優に越え、紀州中に城を築いていたとも言った。そうした背景を思えば、秀吉が彼らを弾圧したのも納得だ。
「だが、近くの民はまだ雑賀岬と呼んでる。おれたちの岬のままさ」
 雑賀は乾いた声で笑うと、腰を掛けていた幹から立ち上がった。片手には、既に火縄が一丁握られている。
「さあ、幸村。火縄の手解きを始めるか」
 幸村の痩せたのどが、ぶるりと震えた。
「ああ。よろしく頼む」
「まあ、まずは俺が撃つのを見ていろ」
 雑賀は、幸村を近くの幹に座らせた。その前に、雑賀が膝をつく。周辺で、それぞれの作業に取りかかっていた配下たちが一斉に動きを止めた。そのうちの誰かが、唾を飲む音が幸村の耳に届く。
 雑賀がまず幸村の目元まで持ち上げたのは、弾薬である。鈍い鉄色のそれは、女の親指の先ほどの大きさもない。たったそれだけの塊が、人を殺すのだ。改めて幸村は、ごくりと息を飲んだ。
 雑賀はそれを火薬と共に銃身に入れると、銃身に添えられた木棒で奥までしかと押し込む。次に、火蓋を開けた。現れた火皿に火薬を流し入れ、蓋を閉める。傍らの火鉢から火を点けた縄を、火挟みに差し込む。
 ここまで終えたところで、雑賀は幸村の眼を覗き込んだ。分かってるか、と確認しているようだった。まるで子供のような扱いに、幸村はやや口を尖らせた。構造は、幸村が戦場で扱っていた時と変わりない。雑賀の手慣れた所作には感心したものの、理解が及ばないということは決してなかった。かといって、それをそのまま口にするのも悔しい。結局幸村は、分かったから続けてくれ、と目線で雑賀を促した。彼の口の端が、いたずらげに歪む。
 雑賀はすくっと立ち上がった。その切れ長の目は、真っ直ぐにある巨木を見据えている。

 ふ、と一陣、風が幸村たちの間を吹き抜けていく。

 それを待っていたかのように、雑賀は火縄を目線の高さまで持ち上げた。左の足を前に踏み出し、上の半身をやや前に乗り出す。そして、その無骨な指が引き金を引く。
 空をつんざくような轟音が、和歌浦の静寂を揺るがした。
 立ち込める煙の向こうに、赤い火花が散るのを確かに幸村は見た。はっと見た先の巨木は、幹に黒い穿ち穴を打たれていた。藤白権現で雑賀衆たちと出会ったときと同じ、底の見えない黒い穴である。それがもし人であれば、まず命は無いであろう。巨木とはいえ、狙った場所を確かに撃ち抜く雑賀の腕に、幸村は改めて身を震わせた。内側で常に燻る、武将の血が沸き立つのを確かに感じていた。
「……まあ、ざっとこんな具合か」
 雑賀は事もなげに息を吐く。そして、目線を幸村の方へ戻した。
「どうだ、幸村。分かっただろ」
「何がだ」
「火縄は、一発撃つのに時間がかかるってことだ」

 幸村の前に腰を下ろすと、雑賀は銃身を慈しむように撫でる。撃ち終えたばかりの火縄は相当熱を持っているはずだが、雑賀の手付きはそれを感じさせなかった。恐らく、一刻を争う戦の中で火傷も構わずに扱ってきたのだろう。
「前にあんたは、戦で俺たちの火縄を使いたいと言ってたな」
 ああ、と幸村は深く首肯した。その考えは、全く変わっていなかった。むしろ、雑賀の頭領の様子を目の前で見て、思いはより強くなっていた。
「だが、火縄はとにかく手間も時間もかかる。隊として使うのは、なかなか手間だぜ」
 雑賀の眼が、幸村を試すように向けられた。言葉にはされなかったが、ならば真田幸村はどう火縄を扱うのだと問うているようだった。幸村もまた、それを真っ向から受け止める。
「隊列を構えて撃つ用意すれば、時間は問題ではない」
「隊列、か?」
 そうだ、と幸村は受けて続けた。
「例えば、三列に兵を配置する。手前の者が撃ったら、用意していた次の者が撃つ。それを繰り返す方法だ」
「なるほどなァ。それには兵の数が必要だが、それも無きゃどうする?」
「兵の数が少なければ、火縄自体を最初から用意すればいい」
 幸村は、逸る気持ちを抑えて一呼吸置く。策に関しては、声に出す手間さえ惜しいほど次から次へ溢れ出てならなかった。
「火を点け、引き金を引けば撃てる状態に予め用意しておくのだ」
「火縄の数もなきゃ?」
「その時は、火縄を用意する者と、撃つ者に分かれる。とにかく、早く敵を撃つ事に専念する」
 なるほど、とまた雑賀は問いを重ねた。幸村もまた、即座にそれに答えた。その応酬を幾度も重ねたところで、やがて雑賀は深く息を吐いた。根負けだ、と言わんばかりに大仰に肩を上下させる。
「……あんた、本当に戦が好きなんだな」
「ああ、……おれは、戦のことばかり夢見て生きて来た」
 くく、と幸村は咽喉を鳴らした。その言葉を吐くとき、押し込めていた内側から自嘲の声が漏れてしまう。雑賀はそうした幸村の様子を、何も言わずに見返していた。暫く何かを迷うように目線を泳がせたのち、雑賀が再び口を開いた。
「徳川家康が幕府を築いて、世はとりあえず太平になった。火縄も武将も、戦国の世のように求められる時代じゃねえ」
「ああ」
「民は、徳川が世を平和にしたと喜んでる。それでも、あんたは戦が欲しいのか?」
「――ああ!」

 幸村の返答に、迷いなどあろうはずもなかった。無言で幸村と雑賀のやり取りを見守っていた配下たちから、どよめきがあがった。それは驚きや軽蔑ではなく、ある種の畏敬の熱が籠っているように幸村は感じた。

 

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