Kino-Kuni文學賞 特別連載時代劇 第3話

『真田幸村異聞~躑躅の首~』 

 

「名草にある藤白権現の桜が見事だそうだ。幸村、お前行ってみてはどうか」

 翌日の夕餉の席、昌幸の突然の提案に、思わず幸村は眼を丸くした。昨日の様子から、あまり花見には興味がないのかと落胆していただけに、意外極まりなかった。
「は、藤白権現ですか」
「そうだ。ただまあ、名草だからなあ。それなりに、時間がかかる。まあ、お前も男盛りだ。鍛練がてら、ゆっくり行って来い」
「父上は、行かないのですか?」

「儂はいい、いい。そうだ、幸村。桜もいいが、儂は躑躅がいっとう好きだ。信玄公ゆかりの赤備えのように、紅い赤い躑躅だ。躑躅の時期になったならば、その時は付き合うぞ」

 そう捲し立てるが早いか、昌幸は一気に味噌汁を流し込み、侍女を呼びに障子の向こうに消えた。父の心遣いが分からぬ幸村ではなかった。心中で昌幸に頭を下げ、明けて翌日。身支度を整えた幸村は、早速藤白権現へ馬で向かった。敢て、供は付けなかった。
 九度山から藤白権現は、まず紀ノ川、そして分かれの貴志川に沿って西に下っていく。気遣う者もない男ひとりの旅路だ。戦を心から欲しているとはいえ、元々の性分そのものは穏やかな幸村である。大旗、野尻、高倉の山々を右手に仰ぐ、和やかな道だ。鼻をくすぐる春風に身を任せ、久方ぶりの凪いだ心を楽しんでいた。

 ――九度山にも愛着はあるが、やはり、外の景色というのは格別だな。

 振り返れば、父親の昌幸以上に山に籠ってしまっていたのが幸村であった。人生の多くを人質として過ごした経験が、足をあまり外に向けさせようとしなかったのかもしれない。昌幸に連れられて、紀伊も何度か巡った。それでも、春を迎えて青さを増す畑も山並みも、何もかもが幸村には新鮮に見えた。つい数年前まで、戦乱の只中にあったとは思えないほどの風景である。途中、水を貰いに立ち寄った民家で、幸村はふとそれを口にした。

「しかし、平穏だなあ」
「へえ。全くです。この辺りは、昔は根来寺や雑賀衆の戦いに巻き込まれて、ひどいものでした」
「そうだったのか。そうは見えないな」
「へえ、へえ。これも、徳川家康様が世を平和にしてくださったおかげです」
 家康の名を聞いて、幸村は胸が早く打つのを感じた。しかし、村人はそれを知るはずもない。心底嬉しげな笑顔のまま、続けた。
「ワシら民は、世から戦を無くしてくれた家康様に感謝しております」

 いよいよ、幸村に耐える事は出来なかった。礼を言い、急いで民家を後にする。人気の無い街道の横道に逃げ込んだところで、込み上げる吐瀉物を一思いに吐き出した。
 そうした事もあり、当初の予定よりも行程は緩やかに進んだ。藤白権現まで後数里の道程となった頃には、日が傾き始めていた。そもそも幸村は、長時間鞍に跨り続けるのも久々だった。大事を取って、街道の脇で草を結ぶ。腰にじわりと響く痛みが、何故かどうしようもなくおかしく感ぜられ、一人くっくと笑いを堪えた。
 そうして翌朝辿り着いた藤白権現は、白くひめやかな桜花を以て幸村を迎え入れた。まだ野良猫さえも姿を見せない早朝のことである。春の朝霧の中に溶け込むような花々に、幸村は思わず目を細めた。藤白権現はその名の通り、藤白山脈の裾野に位置する。一方で、階段を上り境内に至れば、すぐ横手に和歌浦の静かな海を臨む。まさに、神の住まう景勝といった風情である。

――紀伊にはかほど、美しい地があったのか。

 温い春風が、海面にやわらかな皺を立てている。白く霞む桜に、幸村はしばし見惚れた。常に心中を占めているやり場のないわだかまりさえも、この時ばかりは消え失せていた。
 心地よい静寂に身を委ね、幸村はふらりと境内を歩き始めた。やがて、ふと奇妙な臭いがする事に気付いた。すぐに何の臭いであるかは分からなかったが、いつかどこかで嗅いだ覚えだけは確かにあった。幸村は、これは何だ、と首を傾げた。臭いのする方向――境内の奥、暗く深い森の方へ足を向ける。やっと、それが硝煙だという事に思い至った。幾度も戦場で、撒き散らされる血と共に嗅いだ、まさしくそのにおいだった。

 ――このような場所で、火縄を使う者がいるのか?

 戦国の世ならばいざ知らず、仮にも戦は鎮まり、世は平穏になっている。そのような時代に、まして早朝の境内で火縄を使う者など、只者ではない事は明らかだ。凪いでいた幸村の心の蔵は一転、早鐘の如く打ち鳴り始めた。それは恐怖ではなく、全くの好奇心であった。懐かしく、恋焦がれた戦場を思い起こさせるにおいが、幸村を興奮させたのだ。
 念の為にと差していた脇差に手を掛け、そっと森に入っていく。茂みを鳴らさないよう注意を払いながら奥へ進むと、やがて木々の無い開けた場所に出た。一本、大木がその空間のあるじのように佇んでいる。そこに、五人の男がいた。一人は大木の傍らに立ち、四人は幸村の茂みの目の前に立っている。全員、着流しに胴服である。一様に高く結んで垂らした長い黒髪が、普通の民ではないと知らせていた。そして、手に持っているものは正しく。

 ――火縄だ!

 幸村は、ふ、と息を詰まらせた。幸い、男たちの目線は目の前にある大木に真っ直ぐに向かっており、背後に近づいた幸村には気づいていないようであった。
「よし。撃て」
 大木の傍に立つ男がよく通る声で叫んだ。年の頃は、幸村と同じか、それよりやや若い程度であろうか。黒染めの胴服に、散らし模様の小袖とかなり洒落た服装だ。だが、他の四人の男が到底及ばないほどの貫録と、張り詰めた雰囲気を漂わせている。命令を下す声の張りといい、戦場を経験しているのは明らかだった。
 命令を受けた四人の男の動きは早かった。右手に握った火縄の火皿に火薬を入れ、前屈みに構える。引き金を引く。その一連の流れは、すぐ後ろで見ている幸村でさえ追い切れない程であった。引金を引いた事を幸村が理解した時には、既に火薬が炸裂する音が空を劈き、大木の幹に黒点が空いていた。

 ――何ということだ!あの黒点、一つしかないではないか。

 幸村は、じっと目を凝らした。確かに四人の男が同時に撃ったにもかかわらず、幹にある穿ち穴は一つのみだった。それは、全員が寸分の狂いも無く、同じ場所を撃ち抜いたという証拠である。それ自体も驚愕に値するが、何より幸村の胸を高鳴らせたのは、火縄が進歩しているという事実であった。幸村自身、若き日、武田家臣の頃に火縄を利用した事はあった。だがそれは、狙った兵の近くでも横切ったならば万々歳、というような代物だったのだ。撃つ者の慣れや腕の問題というものではない。熟練の打ち手ですらそのような始末であった。つまり、性能そのものが悪かった。
 今の男たちのような芸当は、そうした前時代の火縄で成し遂げられるものではない。よく見れば、火縄全体が、幸村が知っているものよりも銃身がすっきりと洗練されている。また、銃身に付いた鉄板には細かな装飾が施されている。雨が降れば使えない、という弱点の原因でもあった脆い火蓋の部分も、見るからに精密な鉄の仕掛けが施されている。武器として成長している証であった。

 ――おれが戦場を離れている間に、火縄はあれほど進化したのか。

 また一発、男たちが撃つ。いよいよ硝煙のにおいは濃く辺りに立ち込める。幸村はそのにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。気付かれまいと固く結んだ唇だが、熱い吐息が漏れ出すのは抑え切れなかった。
 ――あれを戦で使ったらどうなる?野戦でもいい。だが、籠城戦となれば、寄せてくる敵を蜂の巣にするのも容易いだろう。堅牢な砦を築き、逆茂木で銃身のみを突き出せる壁から撃ち抜けば……!
 幸村の頭を、未だ見ぬ戦場の風景が過ぎっては消え、また浮かんだ。自身が大将として、この火縄隊を率いるならどうしてやろうという策が止め処なく溢れた。
 慎重を期していた幸村とはいえ、そうして空想に耽っていては、流石に背後に回り込んだ男の気配に気づくことはできなかった。はっと振り返った時には、既に男が一人幸村の背後を取っていた。火縄の銃口が、真っ直ぐに幸村の胸元に向けられている。先程の、大木の傍に立っていた男だった。
「覗き見ってのはいい趣味じゃねえぞ。なんだ、お前は」
 細い眉と切れ長の眼は、無表情だった。それは、何も感じていないということではない。今すぐ引金を引いて、幸村を殺すのも躊躇わないという、冷たい殺意のあらわれだ。目線を横にやれば、他の四人の男も同じように火縄をこちらへ向けている。火蓋がしかと閉まっている所を見ると、火薬は既に入れられているのだろう。
 幸村は逡巡した。いつの間にか手を離していた脇差にそっと触れようとした。だが、止めた。刀と火縄では、素早さで分が悪すぎる。そうとなれば、幸村に出来る事は一つしかなかった。

 姿勢を正し、頭と思しき男にきっと向き直る。
「失礼した。だが、どうか怪しまないで頂きたい。危害を加えるつもりなど、毛頭ない事は約束しよう。某は、真田幸村という」
「真田、幸村……。さあ、知らねえ名だな」
 幸村の胸が、ずきりと痛んだ。真田幸村の名が知られていないことは、重々承知はしている。それでも面と切って、しかも一切の悪意はない声色で言われることは、あまりにも辛かった。

「かつての武田家臣、真田昌幸の息子だ」
「……ああ、真田昌幸なら知っている。武田の赤備えを使う、戦国きっての策略家ってな。そうか、確か関ヶ原で負けて九度山に流されたとは風に聞いていたが……あんた、その息子なのか」
「そうだ。この藤白権現の桜が見事と聞いて花見に来ていた。そこで偶然、硝煙のにおいを嗅ぎつけ、お前たちの火縄の鍛練を見ていた。いや、……見入ってしまった」
 男の眼が、一瞬見開かれた。意外だ、と言わんばかりの色であった。

「――あんた、火縄に興味があるのか」

「ああ。ああ。そうだ!少しばかり見ただけだが、お前たちの腕前は、本当に見事だ。何より、その火縄だ! おれが武将として戦場にいた頃より、はるかに優れている。これを戦場で使ったならどうなるんだ?兵は圧倒され、局面を掌握できるだろう。おれはもっとお前たちの火縄を見てみたい。おれは――戦でそれを、使ってみたい! 戦がしたい!」
 幸村の叫びは、早朝の虚空に高く響いた。強い海風が一瞬吹き抜け、森の深い青のにおいが、硝煙を掻き消す。
 男は暫し押し黙っていたが、やがて、「幸村、といったな」と問うた。
 ああ、と幸村は応えた。男の眼に宿る色が、敵視と殺意から一変していた。懐かしい故郷の風景を思うような、優しげなものに移り変わっている。幸村に向けられていた男の銃口が、ゆっくりと地面に下がった。背後にいる、他の四人の男たちのものも同様だった。
 男は幸村の前に膝を付き、頭を一度下げた。
「おれたちは、雑賀衆という。かつて、紀伊を占めた鉄砲の傭兵集団だ。まあ、おれのことは雑賀と呼んでくれていい。……おれたちはこの藤白権現か、大体は雑賀の地にいる。気が向いたら、また来い。人と火縄の数がありゃ、手解きしてやってもいいぜ」
「頭領! それは……」


 男たちから咎める声が上がった。しかし、雑賀がじろりと睨むと、一斉に大人しく口を噤んだ。雑賀は満足げににやりと笑い、幸村に向き直った。突然の展開と申し出に、やや呆然とする幸村の目前に、雑賀は火縄を掲げた。銃身のその奥に見える彼の口許は、心底の愉悦を隠し切れないというように大きく笑みの形を作っていた。

 

 

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