Kino-Kuni文學賞 特別連載時代劇 第1話

『真田幸村異聞~躑躅の首~』第一章

       一

 慶長二十年、大坂には地獄が在った。
 徳川家康の目の前には、紅蓮に燃え盛る黒の大門が聳えている。それはかつて、大坂城の大手門と呼ばれたものであった。
 遙かに見上げるほどの重厚な門は、自身よりも天高く盛る炎に包まれている。それでも、燃え尽きる気配は一向にない。ただ、時が経つほどに木組の黒さは増していく。門の向こう側に、どれほどの惨状が広がっているのかは推して知るべしであろう。それを背に燃え続ける門は、家康の眼にあるじたちの亡骸を見せまいとしているのかもしれない。あるいは、門の内側に留まってしまった者たちを逃がすまいと笑っているのかもしれない。
 いずれにせよ、大坂城の最期の姿は、この大手門を焼き尽くす炎がすべてを物語っていた。

「家康様。ここは危のうございます。そろそろ、本陣へ」
 傍らに控えた家臣が、怯えた目付きでそう提案する。家康は、それでも暫し門を見上げ続けていた。夕暮れが差し迫っているとはいえ、空はまだ青い。だが、この門の上に広がる空は、躑躅のように赤かった。その色が、家康にある男の姿を思い起こさせてならなかった。
「家康様!」
 動かない家康にしびれを切らしたのか、家臣の声はいよいよ荒くなった。家康もそれを聞いては、立ち尽くしている事はできない。
「ああ。茶臼山の本陣へ、戻るとしよう」
 門の姿を思ったまま、家康は本陣に戻った。丁度、足軽共がいそいそと篝火の支度を整え始めた頃であった。やがて、家康が一息を吐いて自身の席へ腰を下ろした時である。そこへ、真田幸村の首級が届けられた。
本陣の幕は破け、馬印は倒れ、すっかり荒れ果てている。そこへ運び込まれた男の首に、その場にいるすべての将が目を奪われた。
 それは、大坂城に出城を築き、鉄砲隊を率い、徳川方の将を圧倒した男の首だった。そして、家康が燃え盛る大坂城の門の前で思い浮かべた男であった。

 慶長二十年五月八日。この日、日ノ本六十余州を率いる徳川方と、豊臣氏の大坂城方との二年に渡る戦いが終結した。数の力を以て、激しく攻め立て続けた徳川方の勝利であった。名のある大坂城方の将は、その大半が討ち死にした。幸村もその一人だ。彼は先の七日、道明寺で繰り広げられた激しい野戦の中で討ち取られていた。そして、その日の夕方には、大坂城から火の手が上がった。火を点けたのが豊臣方なのか徳川方なのかは、家康も知らない。何れにせよ、最後の拠り所を失った豊臣方に勝機などあろうはずもなかった。今日八日、朝日が昇る頃に、豊臣方の主軸である秀頼と淀君親子は自害して果てた。戦局から見れば、豊臣方の運命は既に昨日決していたのだ。
「これが、真田の次男坊か」
 家康の問いに、首級を取った武将は低く唸るような声で答えた。家康もまた、ふむ、と節を付けて唸る。この戦の間、片時も離さなかった軍扇を遊ばせた。そうして、机に置かれた幸村の首を、まじまじと眺めた。本来であれば、首実検には、禁中の伝統行事さながらに細かな規則がある。しかし、今は何分戦中である。全ての処理が確実に終わるまでは、気は緩められない。家康のこれからには、多大な務めが残っているのである。それを心安く行う為にも、幸村の首を老いた眼で確かめる事は、何よりの大事であった。
「逢坂の安居神社で兵を休ませている所を、我が手勢が討ち取りました」
 安居神社は、聖徳太子が建立したという伝説を持つ四天王寺に程近い神社である。この大戦が始まってより家康が陣を構えていた、この茶臼山の裾野に位置している。
「ふむ。安居神社の名は、その昔、菅原道真公が太宰府に流される途中立ち寄り、旅路の疲れを癒した事から付いたと聞く。しかし真田は疲れを癒せなんだ。なかなか洒落がきいておるな」
 本陣に、臣下たちの気不味い空気が流れる。しかし、家康はただ幸村の首を見詰めていた。 四十路も半ば、と聞いていた。だが、痩せた頬と、罅割れのように走る皺は五十路にも見える。総髪に整えられた髪は、霜が目立つ。紀伊国の九度山に蟄居するよう、家康が命じたのは十四年前の事である。あの時に、江戸城で対峙した壮年の男の面影を見つける事は、家康には出来なかった。自分を幾度となく苦しめた、彼の父親昌幸の首ではないかとさえ思った。
だが、何より家康の眼を引いたのは、男の口許であった。やや小さく、青褪めた唇は、確かに笑みの形に歪んでいた。それは、死を目前にして悟りを得た僧のそれではない。徳川を嘲る、敗軍の将の意地のそれでもない。ただ、子供のように何もない笑みであった。ふむ、と家康は軍扇を遊ばせた。家康の長い記憶の中には、幾つもの首がある。それは味方であり、敵であり、兵であり、民である。しかしその何百と積み重なる首どもの中にも、今目の前に置かれた首と同じ顔をしてみせているのは無かった。

 ――これが、儂を討ち取らんとした男か。

 家康の老いた胸に去来するのは、感慨というには冷ややかで、嘲弄というには穏やかな思いであった。
 真田幸村が家康の首を狙っている、というのは半年前の冬の陣から聞こえているところであった。それは他の大坂城の面々とてもそうであろう。豊臣方にとっては、家康を殺さねばこの戦いに勝ったとはいえないはずだ。だが、幸村のその意志は非常に強固なものであったという。なればこそ、家康の耳にまで届き、そしてこうして早速首を検分しているのである。

 冬の陣から、幸村の活躍は目覚ましかった。火縄隊を率いて、攻め寄せる徳川の兵を蜂の巣にしたのである。普通、火縄は一発撃つのにかなりの時間を要する。だが、その火縄隊の素早さは驚異的であった。聞くところによれば、その兵はかつて紀伊を席巻した雑賀衆であるという。多くの兵が、その火縄によって死んだ。また、この夏には幸村は、砦を大坂城の外に築いた。そこを拠点にして兵を繰り出し、徳川の行軍を攪乱した。全体から見れば、冬から続いて徳川方の優勢である。それでも、真田と対峙するその一局ばかりは、常に背水の陣の如き緊張感が漂っていた。どこから火縄隊が撃ってくるのか、幸村はどこから攻めてくるのかと、兵は一様に不安がった。兵は畏敬を込めて、彼の砦を真田丸と呼んだ。

 そして昨日七日、幸村の猛攻が始まった。この茶臼山を駆けあがらんと打って出たのである。目指すのが家康の首であることは、だれの目にも明らかであった。その勢いはまさしく、鬼神であった。同じ戦線に陣を取った豊臣方の諸将が続々と首を預ける中、前方を遮る十重二十重の徳川方の陣を破り抜けたのである。あの時、慌てて本陣に駆け込み急を告げた兵の声が、近づいてくる馬の嘶きが、そして、この本陣に乗り込んだ赤い具足の男の獣の如き叫び声が、一日経ってなお、家康の耳に響く。

「さっき、手勢の者が討ち取ったと言ったな。この首の男は、自分から真田幸村と名乗ったのか?」
 目は、首の口許に注いだままに家康は問うた。ひと時は切る事すら覚悟した皺腹を、そっと擦った。
「いえ。私も手勢も、真田の名はよく聞いておりました。けれど、その顔はよく見知らぬままでした。そのため、一先ずは武功の証に、と鼻を削ぎ落そうとしたのです。そこに通り掛かったのが、幸村の叔父であります」
「ほう。確かに奴は我が軍におったな。すると、その叔父が気付いたか」
「ええ。流石は血縁です。待ってくれ、と急いで走り寄ってきました。その顔は、我が甥幸村に間違いない。確かな証拠もある。上の前歯を見てみてくれ、と叔父は言いました。それでやっと我々も、それが真田幸村だとわかったのです」
「上の前歯?」

 言葉を受けて、改めて見据えれば、唇の隙間から覗く歯が、確かに上の前二つだけ欠けている。他の歯も、九度山での暮らしを反映してか、黄色に染まった貧相なものであるが、ぽっかりと黒く空いたその空間はひどく不気味に見えた。

「ううん、なるほど。これは確かに大きな特徴だ」
「ええ。無論、その後に叔父にも確認させました。躑躅のように赤い具足とこの欠けた前歯は、真田幸村に間違いないと言っておりました」
「ならばよし」
 それさえ聞けたならば、家康の慎重な懸念を一先ず払うには十分だった。家康は諸将を引かせ、残党狩りをはじめとする処理を急ぎ進めるよう命じた。
 初夏の薫風が、一陣吹いた。人気の無くなった本陣の内幕の中に、血と泥のにおいを充満する。場にそぐわぬほどの沈黙が、暫し落ちた。家康はふと口を開いた。
「この男の武勲は、見事だった。だからこそ、この男は不憫な生まれだ。物心付いた時分には、既に天下は織田が握っていた。仕えていた武田は、信玄が死んで虫の息。武名も挙げられぬままに、九度山のような奥深い場所で男盛りを過ごした。そして最期は、勝つべくもない大阪城のために命を散らしたのだからな」
 傍らに控えていた近習の少年が、は、と意外そうな顔で家康を見上げた。家康がそのように感傷的な事を口にするのは、珍しい事であった。家康自身も、それは常々自覚しているところだ。自身の美点とさえ感じていた。だが、この時ばかりは、全く素直な思いとしてその言葉どもが口より出た。見開き続けて乾いた目を癒す為、ふと目を閉じた。その裏で、目前まで迫ったあの赤い具足の男と、目前にある首の笑みが、重なっては消えた。やがてその二つの顔は、燃え盛る大坂城の門の向こうに消えて行った。

 ――この男は、何の為に生き抜いたのか。

 しかし、出立を命じる為に口を開いた時には、家康の思考はひとりの武将から、これより時代を導かねばならない為政者のそれに変貌していた。
 家康は生きているものである。どれほどの恐怖を与えられようとも、生き延びたものが勝つ。それが、戦国の世であった。

 

kino-kuni文學賞 特別連載時代劇第2話

kino-kuni文學賞 特別連載時代劇第3話

kino-kuni文學賞 特別連載時代劇第4話

kino-kuni文學賞 特別連載時代劇第5話

kino-kuni文學賞 特別連載時代劇第6話 

応募フォーム

応募概要

審査員紹介