第二回和歌の浦短歌賞 自由題詠総評

 

2016年8月1日~2017年2月末日まで募集した「和歌の浦短歌賞」も盛況のうちに幕を閉じました。今回は応募総数800余。第一回の応募総数700より、また増え、たくさんの力作が応募されました。年齢・性別を問わず、現代短歌・古典短歌の種別も問わずに様々な方の、さまざまな想いが届きました。また、寄せられるコメントも、楽しく読ませていただいております。

 

前回と同じく、短歌をはじめて月日の経っていない方、短歌結社に入っている方、ネット短歌を楽しんでいる若い方々、さらには、学校の短歌サークルからの応募もありました。受賞経験のない方が9割をこえており、この和歌の浦短歌賞をきっかけに、さらに短歌を楽しんでいただければ嬉しいです。

 

百人一首に代表される古典的な短歌も、現代的短歌もさまざまに応募されており、委員会としても大変よい傾向だと思っております。自分の短歌が「流行」じゃないから……という理由で不安のなか投稿した方もいらっしゃいますが、「流行」よりは、まずは「自分」を追ってください。

 

あと一歩で入選の方が多数いらっしゃいましたが、意外と自分では歌のよしあしが判りません。和歌の浦短歌賞のように10首まで自由に投稿可能ですと、10首のなかから良い歌を厳選して審査員に渡せるため受賞確率もあがるようです。応募していれば、必ず賞に受かります、とは、先達のたくさんの短歌人が申すところです。

       ――般社団法人紀州文芸家振興協会「和歌の浦短歌賞」実行委員 

 

 

 

和歌の浦短歌賞 自由題詠 最優秀賞

砲台に構えた兵士も穏やかな光の海を見つめただろう

ー墨田きい(大阪府)

 

■いつの世のことだろうか。砲台を守り、外敵の侵入を防ぐ役目の兵士は海のおだやかな光に、ふっと緊張を解いた瞬間があるにちがいない。戦争の緊張と大海原の母のごときやすらぎ。作者はみごとな想像力で詠ってみせた。(藤原龍一郎審査員選評)

 

■役者は、怒りを表現する際には、笑って見せるといいます。「砲台に~」と戦争を扱ったことで「海の穏やかさ」がよく表れています。「砲台/兵士」と「光の海」という言葉の対比も素晴らしく、戦争と海というテーマの選定もよく、すべての審査員が点を入れた最優秀賞作品となりました。(紀州文芸振興協会)

 

 

和歌の浦短歌賞 自由題詠 優秀賞

旧姓の終わりのように海へゆくわたしとわたしがすれ違うゆめ

―真篠未成(東京都)

旧姓が終わる、というのは、結婚して新しい姓になるということだろう。名前が変わる感覚を、下の句で思索的に描いた点に個性が光る。名前が変化する「わたし」とはなにか、という自己の存在への深い問いがある。そしてそれは、普遍的な問いとして読者に広く語りかけてくる。(東直子審査員選評)

 

 

 

和歌の浦短歌賞 自由題詠 佳作入賞

よろこびは林檎のような色のまま食卓の上に置かれていたり

―大橋春人(香川県)

■いいことがあった。その喜びという感情は目に見えないけれど、食卓の上にある林檎を目にしたとき、直感的に林檎がよろこびそのもののような気がしたのだろう。「林檎のような色のまま」と間接的に表現したのもいい。(江戸雪審査員選評)

 

幼き日角を曲がりししゃぼん玉 凍土を越えよオーロラ映せ

―末永逸(鹿児島県)

■しゃぼん玉に対して、下の句で「凍土を越えよオーロラ映せ」とスケール大きく呼びかけている大胆さを買いました。映像的なイメージが浮かんできて、映画を見ているような気持にさせてくれる想像力豊かな素晴らしい歌だと思います。(藤原龍一郎審査員選評)

 

昼寝する子ネコの耳が連れてきた春のにおいに背中が笑う

―香山もも(茨城県)

■猫は、耳の中にもやわらかい毛がびっしりと生えている。子ネコなら、なおさらやわらかいだろう。「春のにおい」にふさわしい。なんともいえない幸福感につつまれて起こった「笑」が、背中からも伝わる。とにかくかわいらしくて気持ちがいい歌。(東直子審査員選評)

 

春光のやうな檸檬をしたたらせ潮の香のする牡蠣をのみこむ

―綾華(北海道)

■牡蠣に檸檬をしぼって食べる場面。だが、この歌を読んでいるとまぶしい「春光」と「潮の香」を食べているような錯覚をおこす。「のみこむ」という大きい表現が、霞がかって茫洋とした春の空気によく合っている。(江戸雪審査員選評)

 

炊き立ての湯気たつごはんの雲の上に産みたてたまごの黄身の満月

―三吉誠(福岡県)

■雲の間から見えた太陽を、白いごはんの上に落とされた卵の黄身になぞらえる、という見立てが楽しくてユニーク。雲のふんわりした部分を「炊き立ての湯気」と表現したことで、情景に親近感のある豊かさが加わった。(東直子審査員選評)

 

 石段のすき間にすみれ根を張りて熊野古道の杉木立開く

―潮田さなえ(大阪府)

■一見可憐な「すみれ」の、意外なたくましさに共感しつつ、そこを遠い昔に歩いた人のたくましさにも思いをは馳せているのだろう。石段のすき間という細部をズームアップしたのち、下の句で熊野古道を広々と描き、遠近感のあるメリハリの効いた作品になっています。(東直子審査員選評)

 

 病室の母逝き遺るノートには か細く強い「ありがとう」の字

―樋口盛一(樋の点は一つ)(東京都)

■人が逝った後、もっと自分は何か出来たのではないかという思いを持ってしまうこともあるだろう。母が遺した「ありがとう」の言葉は、母と作者の気持ちを強く繋いでくれた。「か細く強い」からは母の人柄がしのばれる。(江戸雪審査員選評)

 

サーブが全然決まらんのやと寝たきりの祖父の寝言をメモする夕べ

―小坂井大輔(愛知県)

■寝たきりの祖父が、夢の中で、現実ではできなくなったテニスや卓球などのスポーツをしていたのでしょうサーブが入らない、というのは、何かをリセットしたいのにできない、という気持ちの表れかもしれません。ほのかなユーモアと切なさがある。関西弁の会話も絶妙。(東直子審査員選評)

 

 病室の母に別れて数歩行きおさな子しゃがみ激しく泣きぬ

―札谷篤(奈良県)

■幼い子どもなりに、病気の母親を気づかって母の前では気丈にしていたのだろう。気が緩んだ瞬間を捉えて、おさな子とそれを見守る大人たち双方からの切なさが伝わる。「数歩」という具体的な描写によってその場の様子が臨場感を伴ってよく伝わってくる。(東直子審査員選評)

 

 勤めきし社のある駅に近づけば背筋伸ばして坐りなおせり

―野上卓(東京都)

■サラリーマンの哀しい習性でしょうか。すでに職を退いたあとも、その会社のある駅に近づくと、つい緊張して背筋を伸ばしてしまう作者。哀しいというより、作者は仕事に誇りをもっていたのかもしれませんが。感情移入しやすい歌ですね。(藤原龍一郎審査員選評)