第二回和歌の浦短歌賞 題詠部門 総評

 

第二回も盛況でございました。大賞・優秀賞・佳作と順列はありますが、その時の運や場合によっては順位が変動しただろうという秀作がたくさんありました。また、おしくも選外になったものの、あと一歩という惜しい場所にいた短歌もたくさんありました。埋もれさせるのは惜しいことですから、こちらに応募した短歌であっても、ぜひ皆さんの短歌会やそのほかに応募してみてください。

 

今回の題詠部門では、「和歌の浦」という言葉自体を入れる方が多くいらっしゃいました。和歌の浦には「歴史紹介」「名所紹介」でも書いたように、様々な風物があります。次回以降は、「和歌の浦」という言葉を使わずに和歌の浦をうたう短歌を、詠んでみてください。きっと、短歌の腕がまた一つ上がります。

 

平安の昔から「行ったことのない土地でも、想像で読んでみる」ことが多々ありました。和歌の浦に縁のない方であっても、縁のある方であっても、「和歌の浦」がどんなものなのか考えてみてください。今ではネットでも調べられますし、もちろん和歌の浦は、皆様のご来訪を楽しみにしております。

 

”題詠で自分の魅力を殺さず、題詠で自分の魅力を伸ばせるようになったら、プロです”と前回の総合選評で書きましたが、「自分の人生」と「和歌の浦の何か」が重なりあったとき、本当に良いものが生まれるでしょう。

そうはいっても、応募された作品、とくに受賞に至った作品はすべて素晴らしく、洗練された歌だと感じます。ぜひ、今後とも短歌を楽しんでいただければ幸いです。

 

       ――般社団法人紀州文芸家振興協会「和歌の浦短歌賞」実行委員 

 

 

 

和歌の浦短歌賞 題詠部門 大賞

あれは阿波あれは淡路か赤人のまなざしをもて望む島山

ー山形太(茨城県)

■なんといっても「赤人のまなざしをもて望む」というダイナミックな発想が素晴らしい。確かにはるか時空の彼方で、この和歌浦から赤人が阿波や淡路を望み見たにちがいないと思わせる一首です。(藤原龍一郎審査員選評)

■一つの短歌の中に、三つの場所が出てくる技巧が大変に面白く、また、「あわ」「あわじ」「あかひと」と音を重ねたことで、口に出した時の音感が楽しい短歌となった。短歌は技巧だけで読むものではないが、今回は技巧の勝利だったろう。(紀州文芸振興会選評)

 

 

 

和歌の浦短歌賞 題詠部門 優秀賞

衣通の姫の裳裾に似た白きカーテン膨らむ夜風はらんで

―大江美典(兵庫県)

■記紀には「衣通姫」は美しく和歌にも優れていたとされる。そんな姫の裳裾のような白いカーテン。とても美しい情景が思い浮かぶ。夜に白いカーテンが妖しく揺れ、また、夜風が匂ってくるようだ。(江戸雪審査員選評)

■艶美な情景を清冽に歌い上げた良作。美しい「衣通姫」のような女性が、夜のカーテンの窓辺に立っているような静かな艶めきを連想できた。読んだ人それぞれのなかの「美しい夜」を思い起こす一作で、古典的名詞「裳裾」と現代的名詞「カーテン」の組み合わせにも技巧が感じられた。(紀州文芸振興会選評)

 

 

「行春を」石碑の文字のくぼみをば指でなぞりて芭蕉に出会う

―白井陽子(和歌山県)

■遺跡の文字は本来目で読むものだが、石に彫られた文字を指でなぞることによって、芭蕉の魂を体感として捉えようとした、主体の思い入れが伝わる。「行く春」という語に自身の境遇を重ねているのだろう。(東直子審査員選評)

■「和歌の浦」題詠ということで、応募者からは様々な工夫を凝らした作品が送られてきた。この歌は、「くぼみを指でなぞる」という体感的なことを題材にとったところが高評価だった。短歌を作るうえで、五感を駆使するのは一つの技法として面白い。この作者は芭蕉に出会い、さらに短歌を磨いているのだろう(紀州文芸振興会選評)*本来は”行く”ですが石碑に合わせて”行”としています。(事務局注)

 

 

和歌の浦短歌賞 題詠部門 佳作入賞

和歌の浦 白砂も人をも拒み太き根を空に張り出す鶴松のあり

―瀬戸内光(山口県) 

この「鶴松」は天然記念物の根上り松だ。この松がある玉津島神社は、和歌の神さまとして古の歌人たちも訪れた。鶴松の孤高のたたずまいをじっくりと詠いあげていて、理想の歌人像さえ感じさせるいい作品だ。(江戸雪審査員選評)

 

東京の人に見えんは褒めことば見よう見まねで紀州剥きする

―塚本みき(東京都)

■「東京の人に見えん」とは、紀州を訪れた際に言われたことなのだろう。地方に暮らすひとの東京への微妙な意識が垣間見えて面白い。「紀州剝き」は蜜柑を花のようにする剥き方。上の句の内容にバランスよく置かれている。(江戸雪審査員選評)

 

空襲を逃れて真夜の紀三井寺 父兄いずこ 焼けてゆく街

―長緒連(大阪府)  

■七十数年前の悲惨な戦争を回想した歌。和歌山の空襲を体験した作者の肉親との別れの悲痛な感情は今もなまなましく息づいている。戦争というものがいかに悲惨な体験であるか、その記憶が何十年経っても風化しないことをこの一首は証明している。(藤原龍一郎審査員選評)

 

実家から届きしつつみ開き見て 四畳半は蜜柑に染まる

―寺本卓磨(東京都)

■和歌山の名産である蜜柑は、紀伊國屋文左衛門が荒海を越えて紀州から江戸に運びこんだ伝説がある。当時の江戸の人々の喜びと、実家からの蜜柑をありがたく思う気持ちがつながり、味わい深い歌となった。蜜柑のあたたかい色が心の色を示す。(東直子審査員選評)

 

東征に戸畔姫伏したる名草邑 きのくに線が戦野を走る

―立川唱寛(和歌山県)

■日本書紀にのっとった一首。戸畔姫は紀の国の名草の統治者として東征のイワレヒコと戦い、敗れた。その戦野を今はきのくに線が走っている。遥か古代への想いと目の前の列車の対比が鮮やか。(藤原龍一郎審査員選評)

 

 和歌の浦に風そよぐ春 野の花はうららにゆれて螺旋に散りぬ

―柊彗(東京都)

■なんといっても、結句の「螺旋に散りぬ」が秀抜。和歌浦の風だからこそ花びらも螺旋に散るのかもしれません。映像を思い浮かべてみれば、とてもファンタジックなイメージだということを実感できると思います。(藤原龍一郎審査員選評)

 

 産土の 神社に久かた 来てみれば 灯した灯篭 今も佇む

―十六夜(愛知県)

■産まれ育った土地の神社を訪れたところ、むかし灯した灯篭が今もあったといううれしさ。故郷の神社に親和する思いが実感できる歌。人の心がもどる場所はやはりうぶすなの地なのだと、しみじみ心に残る歌です。(藤原龍一郎審査員選評)

 

 君に宛て確かに送ったあの夏に鞄の底より海の絵はがき

―松本進(山口県)

■送ったはずの絵葉書が、自分の鞄の底にあった。投函し忘れたのだと思うが、「底」と「海」がひびきあって、海の底で見つけたような幻想性を帯びる。「君」に届かなかった言葉が、切ないけれど浪漫的でもある。(東直子審査員選評)

 

 

早春の道を辿れば和歌の浦 波は問い歌返し歌なり

―石垣長司(兵庫県)

■和歌の浦に寄せては返す波、それを見た人は数え切れない。しかし、その波を「問い歌」と「返し歌」なのだと発見したのはこの作者ただひとり。その柔軟な発想に脱帽した。これからは和歌の浦の波を見るたびに、問い歌と返し歌と思うことになるだろう。(藤原龍一郎審査員選評)

 

いにしへの歌神坐す和歌の浦 千鳥の声も言の葉と聞く

―福田英雄(群馬県)

■万葉集にも詠まれた和歌の浦。その名からも「歌神坐す」という表現がぴたりとくる。歌人として和歌の浦に立つと、さまざまに飛ぶ鳥のさえずりさえ古の歌人たちからの時空を越えた言葉のように聞こえるのだろう。(江戸雪審査員選評)