第一回和歌の浦短歌賞 自由題詠総評

2015年7月1日~2016年2月10日まで募集していた「和歌の浦短歌賞」。応募総数700余のなかから、自由題詠部門大賞1首・和歌の浦題詠部門1首・優秀賞3首・佳作10首が選ばれました。年齢・性別を問わず、現代短歌・古典短歌の種別も問わずに様々な方の、さまざまな想いが届きました。寄せられるコメントに一喜一憂しながら、歌に込められた気持ちの強さを感じております。

また、応募した方々は、短歌をはじめて月日の経っていない方、短歌をはじめて50年が経とうとしている方もおり経歴も様々でした。今まで受賞経験のない方も多く見受けられ、これを機会にまた短歌を好きになって頂ければと思っております。短歌の楽しさを、つくるたびに発見していただければ幸いです。

 

今回の応募の中では、【自由題詠】では、のびのびとしたあたたかな歌が多く寄せられました。時事題詠や若者言葉を多用した「たてよみ」短歌なども多くあり応募者の個性が際立っていたのが【自由題詠】の魅力です。

 

のびのびとした発想、さわやかな後読感は短歌の魅力の一つです。辛さや哀しさを象徴したいときにも、どこかにすがすがしさがある――そんな短歌を選考しております。今回入選に至らなかった方も、非常に惜しい方がたくさんいらっしゃいました。今年のリベンジをおまちしております。

 

          ――一般社団法人紀州文芸家振興協会「和歌の浦短歌賞」実行委員 

 

和歌の浦短歌賞 自由題詠 大賞

朝まだき鎮守の森を通り抜け 祭りのやぐらは仕舞われてゆく

ー岡野はるみ(大阪府)

■特選のこの歌はすがすがしさが芯に通っている一首。祭のあとの寂しさを詠うのは先例があるが、このようにやぐらを仕舞うという日常の作業に着眼したところが巧み。爽やかな早朝の空気が感じられるようだ(藤原龍一郎審査員選評)

辺りは熱く興奮した祭りの空気をまだまとっている。それでも「鎮守の森」はいつもと変わらず厳かに鎮もり神の気配さえ感じられそうだ。また来年、祭りの真中に聳えるだろう「やぐら」は姿を消す。一首のなかに〈動〉と(静)、あるいは〈熱〉と〈冷〉がみごとに調和しながら存在している(江戸雪審査員選評)

和歌の浦短歌賞 自由題詠 優秀賞

ワグナーの曲の如くに潮風は曼珠沙華咲く棚田を上がる

―六月朔日光(福岡県)

クラシックの楽曲を比喩に使う例は、現代の短歌には少なくないが、潮風に対して「ワグナーの曲」に喩えたのは斬新。この潮風によって、棚田の曼珠沙華が揺れる姿は、まさに勇壮で荘厳なワグナーの楽曲にふさわしいと思う(藤原龍一郎審査員選評)

紀州より嫁御来たりぬ陽光と柑橘の香の清浄まとひ

ー梶田有紀子(大阪府)

清潔な抒情が魅力の歌。紀州から嫁いできたお嫁さんを「柑橘の香の清浄まとひ」と表現したのはみごと。まさに紀州のイメージにぴったりの明るく暖かい一首に仕上がっている。誰もが好感をもつ歌だろう(藤原龍一郎審査員選評)

 

和歌の浦短歌賞 自由題詠部門 佳作入賞

どれもみな同じ顔した文字盤に迫られる午後8時の時計店(長谷遥・兵庫県)

時計店の時計はデザインはさまざまでも、みな同じ時刻を指しているわけだから、確かに同じ表情をしているとも言える。「同じ顔した文字盤に迫られるよう」と敏感に感じ取った作者の感受性の柔軟さに敬服する(藤原龍一郎審査員選評)

遠くまで行けずに笑う人魚たち桜で靴を作ってあげて(香山もも・茨城県)

人間の足をもらえなかった人魚たち、ということだろう。なにかの不都合があり、遠くへは行けない上京にある人の切ない気持ちとも通じる。水の上にうかぶはかない桜の花びらでできた靴は、遠くへ行くにはこころもとないが、一瞬の華やぎを与えてくれる(東直子審査員選評)

きんかんの甘煮を口にふくみては夕陽に染まる海を思いぬ(杉本聡子・東京都)

甘い甘い「きんかんの甘煮」を口中に感じながら、自らもきんかん色に染まっていくような体感。それは、夕陽でオレンジ色になる海への夢想に説得力を持たせている。さらに、自分の身体のなかの海を想像してもいいかもしれない(江戸雪審査員選評)

ではまたと締めくくったらさみしくて手紙の端に添えるくまの絵(戸田響子・愛知県)

上の句は最近の若い人の短歌にはわりあいよく出てくるシチュエーションだが、そこからの展開が意外性があってユニーク。よりによって「くまの絵」というのが面白い。「くま」とひらがなにしたのも巧妙。「熊」という漢字を超えた愛らしさが感じられる(藤原龍一郎審査員選評)

バス停に降りた足からこの町の潮の匂いに染められてゆく(千波・和歌山県)

匂いを五感で表現したことに作者の特異性が感じられた。潮の匂いを足先から感じていく姿が目に見えるようである。映像が目にみえるようで、舞台をみているようだった。さわやかさ、みずみずしさ、清冽さを表現し、海のある町の清らかさを感じられる一首だった(一般社団法人紀州文芸振興協会選評)

婚列も葬列も似てゆっくりとゆっくりと海のみゆる丘ゆく( 中下重美・兵庫県)

結婚式の歩みと葬式のときの歩みに共通性を感じ取ったところに一つ発見がある。海がみえる丘、という場面設定が絶妙で、奥行きのある深い歌に仕上がった。どちらも人生の大事なセレモニーであることから、「ゆっくり」は今歩いている速度であるとともに、人生そのものの歩みにも通じているのだろう(東直子審査員選評)

山寺の石灯籠にクマゼミの脱け殻今も時を掴めり(吉川太郎・京都府)

京都ならではの歌とも言える。これは夏の終わりだろうか。「クマゼミの抜け殻」で寂寥と静謐さの≪静≫を感じさせ、「時を掴めり」により≪動≫を描き出した。夏の終わりの寂しさを思い出させる一首である。多くの人が共有しているような思い出を描き出せる作者は強いと改めて思わせられる一首であった(一般社団法人紀州文芸振興協会選評)

砂浜に剥がれし人魚の鱗がプルリングと化し散らばりにけり(瀬戸内光・山口県)

人魚の鱗と、プルリング(人形を作る時の道具)を同一視した点に作者の個性が伺える。「剥がれし鱗」で読者に痛ましさを呼び起こし、物語を感じさせる一首であった。人形のように砂浜に打ちあがった人魚を想起させるなど、読む人にストーリーを考えさせる秀作(一般社団法人紀州文芸振興協会選評)

懐に吾子を包みてその父は有袋類のごと冬日に闊歩す(土井視保・大阪府)

お父さんが乳飲み子を抱き袋で胸に抱えている姿は時折見かける。その姿を「有袋類」と見立てるとは、言われてみれば確かにそのとおり。父性の愛情というものをしみじみと感じさせてくれる佳歌である(藤原龍一郎審査員選評)

あかときの夢に出で来し若き母 引揚げの途の男髪なりき(山口あき子・大阪府)

終戦後に外地から日本に帰ってくる際に、身を守るために男のように断髪する苦労をされた方がたくさん居たそうだ。この作者のお母様もそんな苦労をして帰国して来たのだろう。幼い心にその男髪の母の姿が焼き付いている作者。今でも夢に見ることがあるのは、母恋の想いでもあるのだろう(藤原龍一郎審査員選評)

引き揚げのとき、男に襲われないように女性も男装をした、という話を聞いたことがある。危機的状況をくぐり抜けるときの勇ましさが美しさに通じるようである。りりしい母の姿を誇りに思い、自分を叱咤激励するようにあかときの夢にあらわれたのだろう。すでにこの世にない若き母の姿が、切なく映る(東直子審査員選評)